甲南高等学校同窓会ホームページ開設記念特別対談企画 第2弾※この記事は、平成25年12月の初代ホームページ開設時に企画・執筆されたものです。

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同窓会ホームページ開設記念対談の第2弾は、共に甲南高校28回卒業で、憲法学者として著名な阪口正二郎一橋大学法科大学院長と、母校で平和教育に熱心に取り組んでおられる根津茂先生にご登場願いました。

— 昨年、安倍自民党政権が発足して、憲法改正や集団的自衛権の行使について、マスコミで取り上げられることが多くなりました。特に日本国憲法第9条について、今何が問われているとお考えでしょうか?

阪口・・・憲法について、最近ではその改正が問題となっています。改正の一つの焦点は、憲法9条です。9条を素直に読めば、軍事力に頼らない平和を日本は目指しているように見えます。

根津・・・非武装や非暴力の精神ですね。

阪口・・・私もその理想は大事だと思いますが、軍事力に頼らない平和なんて現状では非現実だという多くの意見にもうなずけます。むしろ、現実の見方としてはその方が正しいのではないかと思います。 だとすると、なぜそのような非現実な9条が、日本国憲法にあるのかということを考えてみるべきです。

— 憲法9条を考えるには歴史認識も重要なポイントになるのでしょうか?

阪口・・・9条は、日本を平和にするために定められた訳ではありません。9条は、「自衛」の名の下に軍事力を用いてアジアの近隣諸国を植民地化し、世界の脅威となった過去の経験を二度と日本に繰り返させないために、日本を縛ろうという規定です。9条は、世界、特にアジアを平和にするために定められたのです。

根津・・・同感ですね。でも、単に、日本が国際社会から縛られているだけではなく、歴史的な必然性もあったと思います。

阪口・・・根津君は第二次世界大戦の多くの戦場にも足を運んでいるようですが、そのあたりからそう感じるのですか?

根津・・・そうです。あの戦争で膨大な犠牲者が出たアジア各地を何度も訪ねました。そこで犠牲者の声なき声を聞きました。まさに大地の慟哭です。そうしたときに、私の脳裏に浮かぶのが、日本国憲法前文であり、9条なのです。これこそ、それを生み出した歴史があり、アジアの一員としての日本の現実に合っていると思います。