私たち、昭和56年31回卒には「満仁会」という同期会があります。
コロナ禍の影響もあって、ここ6年ほどは総会も開けていませんでしたが、2025年3月29日(土)久しぶりに総会・同期会を開催しました。会場は神戸市中央区の老房 神戸店。この席で新しい幹事も決まりました。
47名の級友に加え、恩師の南里先生にもご参加いただき、楽しいひと時を過ごしました。
学年同窓会
第24回卒の同窓会が行われました。
甲南高校第24回卒業生が、元気に還暦を迎えました。卒業して早、42年が過ぎ 昨年10月24日に還暦パーティーを開きました。
柿原・菊川・菊田先生も、お忙しい中参加下さいました。ともかく42年ぶりに合うメンバなので、顔と名前が一致せず、 「会釈をしてから、あれ誰だっけー」 と最後まで首を傾げる一幕もありました。現役の人・定年退職の人・海外永住の人など、話は尽きませんが、やはり同級生の事、学生時代の話で盛り上がっていました。総勢168名中、65名の参加で開催となりましたが、 連絡が出来ない方が22名いますので、24回同窓会事務局にご連絡をお願いします。
次回は、参加する事に意義があると云う事で、2020年オリンピックの年に開催します。皆さん健康で再会出来ることを、祈念申し上げます。
同窓会幹事会代表 阿部 泰久
第六回 甲南高等学校水泳部OB会「南水会」開催される 於:甲南高等学校プール
報 告 者:南水会 森川 晴之
日 時:2015年7月26日(日)11:00 〜
場 所:甲南高等学校プール
平成27年7月26日(日)11:00 〜甲南高等学校プールにて、甲南高等学校水泳部OB会「南水会」が開催されました。
これまでの南水会は、5月末、或いは6月初めに開催されていましたが、本年度は学校側と調整させていただきました所、夏真っ盛りの7月26日にて開催となりました。
今回の南水会では、甲南高等学校水泳部OBだった平成25年6月若くして亡くなられた36回卒業 柿田 肇君のお父様よりエルベランさんのお菓子が現役の甲南高等学校水泳部員の皆さんへ送られました。
今年の夏は、まさに猛暑という言葉が相応しく、この南水会が開催された日も例外ではありませんでした。その猛暑の中で開催された南水会はこれまでの5月末、或いは6月初めに開催されていた時とは異なり、現役時代のシーズン最盛期を思い起こさせてくれました。
そして、当時胸に抱いていた闘志を思い起こし、現在の日々の生活に於いてもその気概を大切にしたいと痛切に感じた南水会となりました。
南水会 第1回物故者追悼の集い
場所:追悼式・・・・千日山 弘昌寺
偲ぶ会・・・・徳家
甲南高等学校水泳部OB会である「南水会」では、年1回の甲南中高プールでの例会の他、定期的に懇親会などを行って参りました。
今回甲南高等学校水泳部の物故者追悼を目的として「南水会 第1回物故者追悼の集い 」が去る平成26年8月31日(日)15時から28回卒業生鳥居 学氏が住職を務められる千日前 弘昌寺にて行われました。
その様子をお伝えします。
ひのえうま会開催される
去る平成26年8月16日JR芦屋駅前 ホテル竹園にて4年に1回ワールドカップの年に開催される昭和60年卒(35回)「ひのえうま会」が開催されました。
当時米国ミネソタ州から交換留学生としてこの学年に在籍していたJim Steman氏は現在シカゴに在住なのですが、今回この昭和60年卒(35回)「ひのえうま会」に参加するために来日を果たしました。
数多くの恩師の方々にもご出席を賜りました。
それらの様子を御紹介いたします。
第11回(昭和36年)卒業同級会(甲士会)を開催。
第11回卒業の同級会は、11にちなみ「甲士会」として、毎年11月の第2土曜に開催している。今年は、11月9日にポートピアホテルに於いて旧交を温めた。参加者は毎年30名を越えて、40名になることもあったが、今年は急用などのための欠席者も出て29名であった。
恩師は皆様年を取られているので、櫻井先生のみの参加であった。
久し振りに会う顔もあり、2時間半ばかりの間にテーブルを超えて話しに花が咲いた。最後に校歌を斉唱、再会を約束した。
少しピンボケになっているが、集合写真、懇談の様子を紹介する。
(甲士会 島田 壯八郎 記)
第32回生卒業生OB会(南里章二先生御礼の会)が開催されました
去る平成25年5月4日第32回卒業生OB会(南里章二先生御礼の会)が芦屋の老舗ライブハウスレフトアローンにて開催されました。
平田 幸仁氏によるMCで第32回卒業生OB会総会では、会長 不破 誠氏からの挨拶、会計 小寺 利明氏の会計報告、各議題に関しての協議及び審議が行われました。その後、武 伸治氏の乾杯で宴会開始、南里先生の授業から始まり同窓生による3バンドの演奏の後、南里章二と甲南ボーイズがトリをつとめてくださいました。高尾 和也氏による中締めの発声でお開きとなりました。